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「約束された場所で」村上春樹
文春文庫 む54
- 村上春樹がオウム事件のあと、98年前後に信者と元信者に対して行ったインタビューをまとめたもの。後半には河合隼雄との対談が収録されており、インタビューを読んだあとで読者が持ちそうな疑問はだいたい言及されているので、そちらも興味深い。
- 本書を読んで、インタビューを受けた信者が実に多様で、とても面白かった。インタビューを受けたオウム信者はみな平均から外れており、そのために生きにくさを感じていたり、現実の世界に興味が持てなかったりしてオウムに行き着くわけだが、ずれの程度は十人十色で、オウムやその犯罪に対する感じ方や考え方もそれぞれ違う。私自身は、麻原のような不潔な人間を師と仰ぐ気にはなれないし、帰依する人間の気が知れないと思う。しかし、信者たちの特殊な感性や思考パターンを、彼らの話を聞くうえでの前提として受け入れたうえで本書を読んでいくと、彼らのなかでの独自の思考の変遷や議論の流れが見えてきて非常に面白い。また、そのように生まれついたとしたら、周囲とうまくいかないであろうことも容易に想像がつく。多くの信者が、教団内では気の合う友達がたくさんできて楽しかったとコメントしているのが印象的だった。教団のなかでの生活の様子が当事者の声によって語られているのも興味深い。
- 著者は、オウム事件の原因は、日本の社会で主流とされる生き方ができない人たちに対する受け皿がまったくないということだ、といっているが、まったく同感である。大多数の人間のように感じたり考えたり行動したりできない、というのは脳の器質的な問題であって、本人の努力や周囲の努力でどうにかなる問題ではない、と思う。発達障害などの病名が割り振られれば、ケアが受けられる可能性はあるが、その何倍何十倍というグレーゾーンにいる人たちに対する受け皿がいまの日本にはない。最近は、アメリカでも日本でも地域コミュニティを再形成しようとする運動が盛んだが、その際には、社会に適合しづらい人たちをサポートする、ということも、目的のひとつとして考慮されるべきだとおもう。実際、この本に出てくる信者たちのような人たちと付き合っていくのは大変だと思うが、だからといって排除してしまうのではなく、異物は異物としてゆるやかに包含していく、というのが社会のあり方として理想的なのではないだろうか。